藤原敏行朝臣

藤原敏行朝臣の和歌

短 歌
住の江の岸に寄る波よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ
意 味
住の江の騎士に寄る波の「よる」という言葉ではないが、どうして昼ばかりか夜までもあなたは夢の中ですら人目を避けようとするのでしょうか

藤原敏行朝臣の人物像

藤原敏行(ふじわら の としゆき、生年不詳 - 延喜7年(907年)、または、延喜元年(901年))は、平安時代初期の歌人、書家。藤原南家、藤原巨勢麻呂の後裔。陸奥出羽按察使・藤原富士麻呂の子。官位は従四位上・右兵衛督。三十六歌仙の一人。 藤原敏行朝臣(ふぢはらのとしゆきあそん)

藤原敏行朝臣の経歴

貞観8年(866年)少内記。のち、図書頭・因幡守・右兵衛権佐を経て、仁和2年(886年)右近衛少将に任ぜられ、この間の元慶6年(882年)には従五位上に叙せられている。右近衛中将を経て、寛平7年(895年)蔵人頭、寛平9年(897年)従四位上・右兵衛督に至る。

藤原敏行朝臣の逸話

『宇治拾遺物語』によれば、敏行は多くの人から法華経の書写を依頼され、200部余りも書いたが、魚を食うなど、不浄の身のまま書写したので、地獄に落ちて苦しみを受けたという。 他にも亡くなった直後に生き返り自らのお経を書いて、ふたたび絶命したという伝説もある。

藤原敏行朝臣の代表歌

勅撰歌人として、『古今和歌集』(18首)以下の勅撰和歌集に28首が入集。家集に『敏行集』がある。
* すみの江の岸による浪よるさへや夢のかよひぢ人目よくらむ(古今和歌集、百人一首18、)
* 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる(古今和歌集、秋歌上、169)
* 白露の色はひとつをいかにして秋の木の葉をちぢに染むらん
ここでクリア