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- 後鳥羽院
- 順徳院
伊勢
伊勢の和歌
短 歌
難波潟短き蘆のふしの間も逢はでこの世を過ぐしてよとや
難波潟短き蘆のふしの間も逢はでこの世を過ぐしてよとや
意 味
難波潟の芦の短い節のようなほんの短い間さえあなたに会わずにこのまますごしてゆけというのですか
難波潟の芦の短い節のようなほんの短い間さえあなたに会わずにこのまますごしてゆけというのですか
伊勢の人物像
伊勢 (いせ、872年(貞観14年)頃 - 938年(天慶元年)頃)は平安時代の日本の女性歌人。三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。藤原北家真夏流、伊勢守藤原継蔭の娘。伊勢の御(いせのご)、伊勢の御息所とも呼ばれた。 | ![]() |
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伊勢の生涯
はじめ宇多天皇の中宮温子に女房として仕え、藤原仲平・時平兄弟や平貞文と交際の後、宇多天皇の寵愛を受けその皇子を生んだが早世した。その後は宇多天皇の皇子敦慶親王と結婚して中務を生む。
情熱的な恋歌で知られ、『古今和歌集』(22首)以下の勅撰和歌集に176首が入集し、『古今和歌集』・『後撰和歌集』(65首)・『拾遺和歌集』(25首)では女流歌人として最も多く採録されている。また、小倉百人一首にも歌が採られている。家集に『伊勢集』がある。