源重之

源重之の和歌

短 歌
風をいたみ岩打つ波のおのれのみ くだけてものを思ふころかな
意 味
風が激しいので岩に当たる波が一人砕けるように、私も心も乱れて物思いするこのごろだ

源重之の人物像

源 重之(みなもと の しげゆき、生年未詳 - 長保2年(1000年)頃?)は、平安時代中期の歌人。清和天皇皇子貞元親王の子である従五位下源兼信の子。子に有数・為清・為業・宗親・源重之女がいた。伯父の参議源兼忠の養子。官位は従五位下・筑前権守。三十六歌仙の一人。 源重之(みなもとのしげゆき)

源重之の経歴

冷泉天皇が皇太子であった頃に帯刀先生(たちはきせんじょう)、天皇に即位すると左右の近衛将監となったが、その後976年(貞元元年)相模権守を皮切りに、日向守など地方の微官に任ぜられるが官職には恵まれなかった。995年(長徳元年)以後、陸奥守藤原実方に従って陸奥国に下向し、その地で没したという。享年は60余。

源重之の和歌

『拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に68首が入集。家集『重之集』に見える『重之百首』は、百首歌の中で最も古いものである。旅の歌や不遇を嘆く歌が多い。

宮崎県高鍋町の東方にあった老松を見て詠んだ彼の歌「しら浪のよりくる糸ををにすげて 風にしらぶることひきの松」の歌碑がある。現在、地区住民の手によって保護管理されている。

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