大納言経信

大納言経信の和歌

短 歌
夕されば門田の稲葉訪れて 蘆のまろ屋に秋風ぞ吹く
意 味
夕方になると門の前の田の稲葉をそよそよと音を立てさせる秋風が、この芦葺きの田舎家に、さびしく吹き訪れる。

大納言経信の人物像

源 経信(みなもと の つねのぶ、長和5年(1016年) - 永長2年閏1月6日(1097年2月20日))は、平安時代後期の公家・歌人。宇多源氏、権中納言・源道方の六男。官位は正二位・大納言。桂大納言と号す。詩歌・管絃に秀で、有職故実にも通じ、その多芸多才は藤原公任に比較された。長久2年(1041年)の「祐子内親王家名所歌合」をはじめとして、多くの歌合に参加している。当代一の歌人とされたが、経信をさしおいて藤原通俊が撰集した『後拾遺和歌集』に対して『後拾遺問答』・『難後拾遺』を著してこれを批判した。 大納言経信(だいなごんつねのぶ)

大納言経信の経歴

三河権守・ 刑部少輔・左馬頭・少納言などを経て、康平3年(1062年)右中弁に任ぜられ、以後蔵人頭などを経て、治暦3年(1067年)参議として公卿に列す。 治暦4年(1068年)兼伊予権守、治暦5年(1069年)従三位・東宮権大夫、延久2年(1070年)兼大蔵卿、延久3年(1071年)正三位、延久4年(1072年)左大弁、延久5年(1073年)兼播磨権守、延久6年(1074年)皇后宮権大夫・兼勘解由長官、承保2年(1075年)権中納言、承保4年(1077年)正二位、承暦5年(1081年)兼民部卿、永保3年(1083年)69歳で権大納言に進み、兼皇后宮大夫。寛治5年(1091年)大納言、寛治8年(1094年)大宰権帥に任命され、翌嘉保2年(1095年)現地に下向し、承徳元年(1097年)大宰府で没している。82歳。
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