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猿丸大夫
猿丸大夫の和歌
奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき
さびしい奥山でもみじを踏み分けながら妻を思って鳴く鹿の声がする。その声を聞くととりわけ秋の悲しさが感じられるよ
猿丸大夫の人物像
猿丸大夫(さるまるのたいふ / さるまるだゆう、生没年不明)は、三十六歌仙の一人。猿丸は名、大夫とは五位以上の官位を得ている者や伊勢神宮の神職のうち五位の御禰宜、神社の御師、芸能をもって神事に奉仕する者の称である。 | ![]() |
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猿丸大夫の概要
猿丸大夫の作品
奥山丹 黄葉踏別 鳴鹿之 音聆時曾 秋者金敷(おくやまに もみぢふみわけ なくしかの こゑきくときぞ あきはかなしき)
花札の「もみじに鹿」の取り合わせは、この歌による。ただし『古今和歌集』ではこの歌は「よみ人しらず」となっている。また三十六歌仙の歌集『三十六人集』の中には猿丸大夫の歌集であるという『猿丸集』なるものがあるが、残されているいくつかの系統の伝本を見ても、その内容は全て後人の手による雑纂古歌集であり、その中の歌が猿丸大夫が詠んだものであるかは疑わしいとされる。なお「おくやまに」の歌は『猿丸集』にも入っているが語句に異同があり、「あきやまの もみぢふみわけ なくしかの こゑきく時ぞ 物はかなしき」となっている(御所本三十六人集に拠る)。猿丸大夫の出自
猿丸と小野氏、二荒神、古今和歌集
『日光山縁起』に拠ると、小野(陸奥国小野郷[3]のことだといわれる)に住んでいた小野猿丸こと猿丸大夫は朝日長者の孫であり、下野国河内郡の日光権現と上野国の赤城神が互いに接する神域について争った時、鹿島神(使い番は鹿)の言葉により、女体権現が鹿の姿となって小野にいた弓の名手である小野猿丸を呼び寄せ、その加勢によりこの戦いに勝利したという話があり(これにより猿と鹿は下野国都賀郡日光での居住権を得、猿丸は下野国河内郡の宇都宮明神となったという)、『二荒山神伝』[4]にもこの戦いについて記されている。これにより下野国都賀郡日光二荒山神社の神職であった小野氏はこの「猿丸」を祖とするという。また宇都宮明神(下野国河内郡二荒山神社)はかつて猿丸社とも呼ばれ奥州に二荒信仰を浸透させたといわれている。 歴史書『六国史』に拠ると、二荒神は承和3年(836年)に従五位上の神階で貞観11年(869年)までに正二位へと進階したが、赤城神の方は二荒神が従二位の階位にあった貞観9年(867年)にようやく従五位上、元慶4年(880年)の時点でも従四位上で二荒神と比べれば遥かに低位である。赤城神は11世紀に正一位を授かり二荒神と同列に序されるが、少なくとも平安時代末期までは二荒神の勢力が赤城神に勝っていたと考えられ、古今和歌集が成立する905年(延喜5年)までにこの説話の元となる出来事が実際にあり、『六国史』にはその名が見えない「猿丸大夫」という謎の人物像が定着し、紀貫之が古今和歌集にその名を載せたと推察するのは容易である。 また、歴史書『類聚国史』に拠ると、小野氏は弘仁年間に巫女であった猿女君の養田を奪って自分の娘に仮冒させたとあり、ここにも小野氏と猿、神事を司る者の関係が見て取れる。