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待賢門院堀河
待賢門院堀河の和歌
短 歌
ながからむ心も知らず黒髪の 乱れてけさはものをこそ思へ
ながからむ心も知らず黒髪の 乱れてけさはものをこそ思へ
意 味
あなたの心が末永く変わらないかはわかりません。分かれた今朝は黒髪が乱れているように、心も乱れ物思いに沈んでいます
あなたの心が末永く変わらないかはわかりません。分かれた今朝は黒髪が乱れているように、心も乱れ物思いに沈んでいます
待賢門院堀河の人物像
待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ、生没年不詳)は、平安時代後期の歌人である。女房三十六歌仙・中古六歌仙の一人。父は神祇伯・源顕仲。姉妹に、顕仲卿女(重通妾)[* 1]、大夫典侍[* 2]、上西門院兵衛がいる。前斎院六条とも呼ばれる。 | ![]() |
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待賢門院堀河の経歴
白河院皇女で斎院を退いた二条大宮令子内親王に出仕、六条と呼ばれた。後に鳥羽天皇の中宮・待賢門院藤原璋子に出仕し、堀川と呼ばれるようになった。康治元年(1142年)、主人・璋子の落飾に従い、同僚の待賢門院中納言と共に出家している。少なくとも一度は結婚したらしいが、夫とは死別。『金葉和歌集』以降の勅撰集、歌合等の他、家集『待賢門院堀河集』にも作品を残している。