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- 藤原道信朝臣
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- 源俊頼朝臣
- 藤原基俊
- 法性寺入道前関白太政大臣
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- 左京大夫顕輔
- 待賢門院堀河
- 後徳大寺左大臣
- 道因法師
- 皇太后宮大夫俊成
- 藤原清輔朝臣
- 俊恵法師
- 西行法師
- 寂蓮法師
- 皇嘉門院別当
- 式子内親王
- 殷富門院大輔
- 後京極摂政前太政大臣
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- 鎌倉右大臣
- 参議雅経
- 前大僧正慈円
- 入道前太政大臣
- 権中納言定家
- 従二位家隆
- 後鳥羽院
- 順徳院
皇嘉門院別当
皇嘉門院別当の和歌
短 歌
難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ 身を尽くしてや恋ひわたるべき
難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ 身を尽くしてや恋ひわたるべき
意 味
難波の入り江の蘆の刈り根の一節のような短い一夜の契りのために、生涯を尽くして恋い続けることになるのでしょうか
難波の入り江の蘆の刈り根の一節のような短い一夜の契りのために、生涯を尽くして恋い続けることになるのでしょうか
皇嘉門院別当の人物像
皇嘉門院別当(こうかもんいんのべっとう:生没年不詳)は、平安時代末期の女流歌人。父は源俊隆。大蔵卿源師隆の孫にあたる。 崇徳天皇の中宮皇嘉門院藤原聖子(摂政藤原忠通の娘)に仕えた。皇嘉門院聖子が忠通の子で兼実の姉であることから、1175年(安元元年)の『右大臣兼実家歌合』や1178年(治承2年)の『右大臣家百首』など、兼実に関係する歌の場に歌を残している。1182年(養和元年)皇嘉門院聖子が没したときにはすでに出家していた。 |
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