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- 入道前太政大臣
- 権中納言定家
- 従二位家隆
- 後鳥羽院
- 順徳院
右大将道綱母
右大将道綱母の和歌
短 歌
嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る
嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る
意 味
あなたが来ないことを嘆きながら一人で寝る夜があけるまでの時間がどんなに長いものか、あなたにお分かりでしょうか、わからないでしょう
あなたが来ないことを嘆きながら一人で寝る夜があけるまでの時間がどんなに長いものか、あなたにお分かりでしょうか、わからないでしょう
右大将道綱母の人物像
藤原道綱母(ふじわら の みちつな の はは、承平6年(936年)? - 長徳元年5月2日(995年6月2日))は平安時代中期の歌人である。藤原倫寧の娘。『尊卑分脈』という公的な系図を示す本の中にさえ「本朝第一美人三人内也(=日本で最も美しい女性三人のうちの一人である)」と書かれ、美貌と才媛と謳われた。 藤原兼家の妻の一人となり一子道綱を儲けた。また、兼家の旧妻である源兼忠女の娘を引き取り養女にしている。兼家との結婚生活の様子などを『蜻蛉日記』につづった。晩年は摂政になった夫に省みられる事も少なく寂しい生活を送ったと言われているが詳細は不明。『蜻蛉日記』は没年より約20年前、39歳の大晦日を最後に筆が途絶えている。 | ![]() |
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